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~稽古場覗き穴~ 
げんこつ団HP内“稽古場覗き穴”の団長ページ
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今回は、AB型が多いようだ。
血液型占いみたいなのにはあまり興味がない。
性格判断まではまだ分かるけど、血液型で今日の運勢とか、
わけがわからない。
ただまあ、AB型が多いみたいだ。

よく考えたら、団員だけでもABが三人。半分。
プラス客演に二人。出演者の約半数。なんだこの割合。

ただ、他の血液型は分かりやすく、
几帳面だの、奔放だの、マイペースだの言われるが、
AB型の性格っつうと、よく分からない。
「とらえどころがない。」、ってなんだよ。
性格判断ってのは、性格をとらえて、判断するものだろう。
まず、とらえてくれよ。

まあつまり今回の舞台には、とらえどころのないのが半分居るわけだ。

勿論、げんこつ団の舞台では演者の個性は一切出さず、
全ての演者に登場人物として、演出通りに振舞ってもらう。
だから関係ないと言えば、関係ない。
登場人物には、A、B、O、ABが、バランス良く登場していると思う。

ただ、実際に演じている者の内面としては、
とらえどころのないのが、半分、うようよしているわけだ。
しかも書いてるヤツからして、とらえどころがないってわけだ。
…なんか気持ちわるくない?

ところで血液型で性格判断というのは日本にしかないらしい。
ん~、実際に流れている血の種類だから、
信憑性はなくともなんとなく、
なんかあるのかもしれないな~とは感じたりするけど。
産まれた時の空の星の配置、なんかよりは。
まあいいけど。

とりあえず、AB型の主張としては…、

いいかげんな事言わずに、まず、とらえろよ!

って事です。


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動体視力にはかなり自信がある。
しかし体力や運動神経にはまったくもって自信がない。
という事で、スポーツではないものに、
この動体視力を活かすものはあるだろうか、と考えてみた。

んー。

・・・なんかの検査とか?

何かわからないけど、何かが流れていくのを見て、
何かわからないけど、何かをチェックする係とか・・・。

延々と流れ行く何か、それを見つめ続ける私。
その何かに何かかんかを発見したら、
その何かに何かかんかする私。
そしてまた延々と流れ行く何か。
その繰り返し。

…つ、つまんねえの。

あとは演出する時、すごい速さで動いた役者の、
ちょっとした表情とかちょっとしたマバタキとかが、見える。
見えるけど、だからなんだ。

結局、この動体視力、
やっぱ何の意味もねえ……。

 

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しかし涼しいな。
台本を書いている部屋にはクーラーがないから、
いつも夏は死んでしまいそうになる。
だから今年はさすがに、他の部屋に避難した。
汗がキーボードに落ちるのも困るから。
汗だくで本書き。ありゃスポーツだ。

そんなわけで、涼しくなって安堵している。
あ。今もなんとなく避難場所に避難したままだから、
だから本当はあんまり関係ない。
でも、涼しくなって良かったな~と、思うようにしている。
せっかくだから。
あーよかったよかった。

そういや、小さい頃から、
自分が心地よいな~と思える場所には、
霊感が鋭い人によると、何か居る、場合が多いみたいだ。
むしろ心地よいんだけど。困ったな。困らないか。

で。もともと台本書いていた部屋が、自分には心地よい。
つう事は、何か居る、って事かな?
涼しくなってきたから、そっちの部屋に戻るかも。
もし何か居るなら、今後ともよろしく、何か。

さて。最近、自分の中で密かに流行っている事がある。
自分ちに居る猫に、「猫か。」と突っ込む事。
「お前は猫か。」
まあ猫なんだけど。
何をしているわけでもないところに、やるといい。
でももう飽きた。
なんか他の遊びを探そう。

そんなこんなで台本は、シーン数で言えば約半分くらい進んだ。
げんこつ団は映像を使用し、その撮影や編集共に自分でやるので、
撮影期間までに台本を全部あげなくてはならない。
日数を計算すると、あまり余裕はない。ピッチをあげねばならない。

しかしその点、毎週定期的に稽古があるのは、私にとっては有り難い。
毎週締め切りがあるような、切羽詰った気持ちで居られる。
例えば一ヶ月集中して稽古するような形だったら、
期限までに全部書き上げられるかどうか、想像するとちょっと怖い。

また、稽古しながら台本を変えたりする余裕があるのも良い。
ただ、これはあまりやり過ぎるとわけがわからなくなる危険性がある。
いつも新鮮な気持ちで、このシーンでは何がやりたいのか、
意識しておく必要がある。意識しておこう。意識しておけ。
まああまりない事だけど。そこまで言うなら意識しておきましょう。

そんな感じで、やっております。
 

最近、ちょっと意識的にテレビをよく見るようにしている。見たくないものも含めて、見るようにしている。
イライラしたり吐き気がしても、見るようにしている。まったく深い意味はない。
ただ、無意味によくそういう事をする。

あまり好きではないジャンルの映画を意識的に沢山見たり、
まったく興味のないスポーツ番組をよく見るようにしたり、
ぜんぜん面白いと思えない本や漫画を読んでみたり、
嫌いなものを敢えて食べたり、嫌いなところに足を突っ込んだり。
なにかにつけ、そういった事をしてみる。そこから得られるものは、えーっと、別にない。
ただ、意味のあるなしに関係なく、そうして、○○週間、○○月間、みたいなものを、
自分の中で勝手に設定してみるのが好きだ。

そういう感じでテレビを見ていると、今の番組の向こうに、ふと、
「祖父母と孫」、の姿が、ほんのりと浮かんできた。
孫の活躍を喜ぶ祖父母のような優しさ、孫と共に安心して見られるような雰囲気、
孫の喜ぶもの、孫の喜びそうなもの、そんな孫の喜ぶ姿をみて微笑ましく思うであろう祖父母、
なんか、そんなものが頭に浮かんできた。
もちろん色々なもんがあるがすごく乱暴に分類して、全体的にはそんな風景が頭に浮かんできた。

なんか昔に比べて、若者や働き盛りが抜け落ちている。
そこらの世代はテレビなんかにかまけていられないか、
興味を失っているところがあるのかもしれない。
まあ事実自分もそうだし。いや自分の場合もともとテレビっ子ではなかったけど。
若者に人気と言ってもホントに人気な感じもしない、或いは、数的に若者という世代が弱い。

確実なターゲットとしてそこを狙わざるを得ないのか、
或いは、作る側を主導する世代にめでたくも孫が出来始めたか。
もしくは、若者の総孫化、中年以降の総祖父母化が、進んでいるのか。
そういう事なのかもしれないな。
まあ、どうでもいいけど。

もしも、嗜好する娯楽の質が実年齢より低下したとしても、
孫と分類される年齢が徐々にもっと上がったとしても、
実際には“孫”の数は減り、“祖父母”の数を大幅に下回る。
孫ってもんは本当は、人をぶっ叩いたり、人を蹴っ飛ばしたり、
人が本気で驚いたり怖がったり、するのが好きだろう。
或いは、○んこ、とか、○んこ、とか、○んこ、とかが好きだろう。
でも孫の支持は数的に大きな支持にはならないから、
これで喜んで欲しい、このくらいで喜んでおいて欲しい、
そういった祖父母の感覚がそこに影響を及ぼす。
孫化した、実年齢0歳~20代、いや30代に、
それは知らぬ間に、フラストレーションを与えるかもしれない。
まあ、どうでもいいんだけど。

総祖父母化した年齢層が自分達が本当に楽しめるものを作るか、
総孫化した年齢層のフラストレーションがそこに爆発するのか、
或いは両方がテレビという媒体から離れ、更に興味が失われていくのか、
もしくはなんとなくのもので保たれ続けていくのか。
どうあったとしても、細分化されてはいくんだろうなと思う。
まあ、ほんとーにどうでもいいんだけど。

自分の事を言えば、テレビの中に、自分が面白いと思えるものがなかったわけで。
子供の頃からそうだったから、もともと興味がなかったわけで。
だから、細分化されようが消えようがなくなろうが、どうでもいい。

ただ、嗜好が更に細分化されていく事で、もっともっと、
放送というものに限定せずとも、マニアックなものが増えるといい。
マニアックという言葉も廃れるほど、それがもっと当たり前になるといい。
カルチャーにメインもサブもなくなっていくといい。
まあそうなりつつあるか。
ただ、もっともっとぐちゃぐちゃになっていくといい。
そして、大きなものはもっと解体され、小さなものがもっと乱立するといい。
しかしそれには景気の回復が必要かもしれない。
解体されっぱなしで何も芽吹けない土壌は、
例えば外国人労働者などのパワーに奪われてしまうかもしれない。
久々にテレビをつけたらインドのお笑いしかやってないかもしれない。

どーでもいいながらも、それはちょっとイヤかもしれないので、
いや、ちょっと、つうかかなり、楽しいかもしれないけど…、でもまあやっぱちょっとイヤなので、
早く景気が回復しねえかなあと、思う。
でも、どこまでが回復なのか分からんし、
自分は景気回復に対しては、なーーんにもできないので。
やっぱ、どうでもいいや、と思う。

自分自身や生活は、人間として社会に生きている以上、その流れやその動向に影響を受ける。
ただ、自分自身の作るものや、作る姿勢は、根本的には、動かない。
ネタにしベースにしているのは、今の此処にある「社会」や「人間」だけど、
それは、今そこに居る「人」に見せるのだから、自分にとって、当たり前の事だ。
それを変える事は、ないと思う。
そして、「今」を共に生きている「人間」に、ブハッ!っという瞬間を与えたい、
ただそれだけが、どうでもいい事ではない事、だ。
馬鹿馬鹿しい、くだらねえ、びっくりした、そうきたか、だから何だ、
出て来る言葉は、どうでもいい。
ただただ、ブハッとする瞬間を生み出せたらいい。
それだけが、どうでもよくない事、だ。

気候が涼しくなった。
いつも携帯で書いているのが、今日はたまたまパソコンだった。
だから、長くなっちゃった・・・・。わははは。

結局、最後の一文以外、どーでもいー事でした。


さて。今読み返してみたら、本当に、どうでもよかった…。
こんなにもどうでもいい事を、こんなにも長く書けた事に、びっくりした。
いくら気候が涼しくなったとはいえ、何やってんだ、自分。。。。
…ああ、これが、秋、ってもんなのかな? え? 何言ってんだ、自分。
まあ、以後こういった事がないように、気をつけます。


ほいじゃ。
 

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