げんこつ団HP内“稽古場覗き穴”の団長ページ
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どっかに書いたけど。
純粋な疑心は信心の何千倍も、正しくて美しくて必要。
これ、わたしの幼少の頃からの持論。
幼稚だけど、その分単純明快。
家族や友人などの間に交わされる、言葉なき信頼の感情は別として、
信じるか信じぬかを問うてきたり、その判断が必要であったり、
或いはそれを問わぬままに信じる事が当たり前になっていたりするものは、
とにかくまずは、全てを100%疑ってかかるべき。
情報も定説も宗教も経典も企業も商品も、
物事の動きも風潮も人の言う事も、何でもかんでも。
何らかの固定概念に縛られない、頑なでない自分であれば、
ある程度の正しい判断が出来るはずだし、
同時に自分のその判断なんかも、もちろん決して、信じちゃいけない。
とにかくまずは、全てを100%疑ってかかってみるべし。
それなしの信心は、すべて邪道。
純粋な疑心は前進、安直な信心は停滞。
疑心によって生まれては消える信心こそが、やっと純粋。
うっかりするとただのヒネクレ者になりかねないけど、
うっかりしないで貫いていけば、かなり楽しい疑心道。
ゴールは有るとも無いとも言える疑心道。
おすすめです。
あ。写真は本文とまったく関係ありません。
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