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さて。げんこつ台本、そろそろぽちぽち執筆中!
見切り発車ですでに進み始めた台本を、
ひそかに決まったタイトルと方向性のレールに乗っけて、
ぶいぶい走らせながら、時々分岐させ、時々全然関係ない事する。
うーん。まあそこはほれ。正直そんなにスラスラとはいかん。
時にうんうん考えて、時に降ってくるのを待つのだ。
脚本的にも演出的にも役者的にも、ここでしか出来ないもんを作るのだ。
この世の中は本当に馬鹿馬鹿しいけど、
日常の中に埋没すれば、その馬鹿馬鹿しさに手が届かない。
馬鹿馬鹿しさの中に取り込まれて、それが見えなくなる。
でも日常とは、埋没せざるを得ないところであり、
それに取り込まれなければ、生きてはいけない。
だから考えたり書いたりするしかないわけで、出来るだけあちこちに手を伸ばして、
高いところにある、深いところにある、シンプルな馬鹿馬鹿しさを、
この日常に引きずり下ろして、形にするしかない。
いや本当は馬鹿馬鹿しさには浅いも深いもなく、それ自体はとてもシンプルだ。
ああ。だからとにかく。日常の中では、どうしても、いつも馬鹿馬鹿しさが枯渇状態。
だから仕方ない。作るしかない。はい。ばりばり作るべーーーー!
次の日に備えて早く寝なきゃいけない時があり、でも絶対に早く寝る自信がなく、
「そうだ、そういう時はお酒を飲んだらきっとすぐ眠れる!」と思い、
スーパーで一番小さな梅酒を買ってみた。飲んでみた。すぐ寝れた。
「やりぃ、すぐ寝れたぜ☆」と夢うつつでニッコリしたら、もう朝だった。
身体中ダルい。頭がボーッとする。微かに頭痛もする。
結局、備えたはずの次の日は一日中、ダルくてボーッとして頭痛い一日になってしまった。
ちくしょう、これがいわゆる二日酔いってやつか!ちくしょう、恨むぜ、チョー○の梅○。
さて。
6月のジャグリングの舞台公演まですでに一ヶ月を切りまして、
前売りチケットはなくなりつつあるようです。ご予約はどうぞお早めに。。。。!
あ。団長の団外活動については、
『吉田プロジェクト』 http://www.ac.auone-net.jp/~yoshidap/index.htmlで。
またそちら方面の日記は、
『吉田日記』 http://yoshidagenkotu.blog46.fc2.com/ を、ご覧下さい。。。。☆
んではでは。
ぴんぽんぴんぽん♪
こんばんは。ブログの途中ですが、ここで先日の内容に訂正があります。
…と。
ニュース風にしようと思ったけど、なんかうまく文章が続かないので、ニュース風は、やっぱやめます。
えっと。「稽古初日」の記事の中で、げんこつ団の「掟」について書きましたが、
なんだか誤解をされてしまいそうな文章になっているとの事で、訂正します。
今度ワークショップもやるし。誤解はいやだし。丁寧に説明いたします。
「てめえのままで、舞台に上がるな。おまえ自身なんか、どうでもいい。」と書きましたが、
それは、女性のみで当然のように老若男女を演じ分けるげんこつ団においては、
そのくらいの意気込みが必要だという事です。
例えば「拳骨花子さん」が爺さんの役をやる時、花子さんが花子さんのままで、
爺さんっぽい台詞を、上っ面だけで爺さんっぽく読んでも、爺さんには見えないんだよ、という事です。
まず自分なりにでも、なんとか爺さんになろうとして下さい、という事です。
それが、「てめえのままで、舞台に上がるな。」の意味です。
また、花子さんが、例えば普段は「不思議ちゃん」キャラだったとして、
普段は周囲にそれが「面白~い!」と言われていたとしても、
或いは普段は別の舞台でそれが大好評だったとしても、
色々なシーンで色々な役を演じ分けるげんこつ団においては、
全部をその「花子さんキャラ」に近づけて演じられても困る、という事です。
それが、「おまえ自身なんか、どうでもいい。」の意味です。
たしかに、色々な芝居があります。
その不思議ちゃんキャラを存分に活かして成立する芝居の場合、それはそれで、いいと思います。
個人的には、面白ければそういうのも好きです。
ただ、あくまでも「げんこつ団」の作品では、それはNGだという事です。
そして、「出来る限りその役になったうえで、より、効果的に動け。」とは、
自分の特性よりもその役に近づいたうえで、それだけで満足せずに、
周囲の登場人物やシーンの流れなどにもしっかりと目を向けて、
それをより効果的に観せようという姿勢が、必要だという事です。
最後に、「そうであっても誰よりも、“あなた”を活かそうとしよう。 」とは、
作・演出の自分の立場からの事で、例えば、
げんこつ団では花子さん自身の不思議ちゃんキャラは存分に発揮出来なくても、
他の舞台では観る事の出来ない花子さんの演技や配役やキャラで、
拳骨花子さんという役者を最大限に活かす姿勢でいます、という事です。
もしかしたらげんこつ団は、色々な意味で特殊かもしれません。
でもだからこそ、ここでしか観れないものがあると思います。
だから、あくまでもげんこつ団においては、この姿勢は崩さずやっていきます。
以上、過去記事に、一部、誤解を招く表現があった事をお詫びし、ここに訂正いたします。
ぴんぽんぴんぽん♪
ヒアウイゴー。
げんこつ団、次回公演に向けて遂に動き出しました。
副団長植木との秘密会議で、ひそかにタイトルも決まった。
また作品のだいたいの方向性も、ひそかに決まった。
そしてそれらの決まる前に、すでに台本が進み始めた。
それでいいのか?それでいいのだ。タイトルなしの、見切り発車だ。
6月からの本格始動の前に、エンジンぶりぶりの徐行開始。
言わばスタートラインに並びながら、
合図を待ってエンジンぶりぶり言わしているところ。
一度走り始めたら、全速力で走るだけです。
マラソン大会で目立とうとして最初に全力で走っちゃって、
あとで先生に付き添われながら、泣きながらゴールに辿り着く、
そんな感じでは、ありません。
あいつあんなに必死に走っちゃって、バカだー、と言われつつ、
最後までその脅威のペースをキープしてしまう、最もバカな子のように、
どうせ走るなら、ブッチギリで走るのです。
ぶるるるる。ガス欠注意。ヒアウイゴ。
さて。げんこつ団も時には基礎練します。
もともとの自分や自分自身の特性を出来るだけ離れ消し去り葬り去り、
多種多様な老若男女に変貌する、それがここでは必要不可欠。
ここでは、その秘儀を得るための秘密訓練が、ひそかに行われる。
しかしそれは同時に、とても馬鹿馬鹿しく、とてもくだらない。
本気でやらなきゃ、ただの悪ふざけ。本気でやる事に、意義がある。
しかし本気でやるほど、また尚、馬鹿馬鹿しい。なんとやらなんとやら。
はい。それらはワークショップで、垣間見て頂けるかもしれません。
はい。突然ですが宣伝してみました。
色々な芝居があっていいと思う。
私自身は、とにかく馬鹿馬鹿しくあれば、それが心底好きだ。
役者のもともとのキャラクターを活かし、
それがこれでもかと前面に出ている芝居も、面白ければ別に嫌いじゃない。
また、そういうのも時にはやってもいいと思うし、
それをやるのに、抵抗もない。
ただしかし、「げんこつ団」の作品においては、絶対の掟がある。
てめえのままで、舞台に上がるな。おまえ自身なんか、どうでもいい。
それが掟。
出来る限りその役になったうえで、より、効果的に動け。
それが決まり。
そうであっても誰よりも、“あなた”を活かそうとしよう。
それが約束。
それに則って、次回もまた、げんこつ団にしか出来ないもんを、
求め、追求して、作っていくのである。
なんつって。
いや。別に「なんつって」ではない。
…てな感じで、動き始めておりますです。
「フツー音速超えが当たり前でしょ?!
音速超えなきゃ意味ないんだから!!」
「…うん。」
子供は小学校低学年ほどの女子。
最近の低学年女子にとって音速超えが当たり前なものって、
何なんだろう。。。。????